〒501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞496
◎介護福祉士は看護師よりも下なのか?
私は一応
准看護師の資格を持っている。
1年だけ透析センターの助手をやっていたこともある。何もできるようにならないまま介護現場に戻ってしまったけど。
なんで看護師やらないの?もったいないとよく言われていた。
介護福祉士として20歳から特別養護老人ホームで働き始め、様々な出来事が重なり
職場を辞めて准看護師の免許を取得した。
名刺に「准看護師」と書いてあると、何故?という質問をされることがある。
何故准看護師とったの??
何故介護やってるの??
そもそも何故准看護師を取得したか。
1、入社して初めての夜勤で、食事介助をした利用者が2時間後に亡くなった。
2、22歳の時に肺炎で入院。担当の男性看護師は夜間時にも熱発時の対応等全ての判断ができる。新人の頃の無力感にトラウマがある自分には憧れにみえた。
3、尊敬できる上司が、介護を長年経験してから准看護師をとられた。「准看護師をとったらこの仕事もっと楽しくなるよ。私がそうだから。」と、辞める意思を伝えた時に言われた。
4、専門学校の尊敬している恩師が看護師だった。
5、看護師に対しての敵対心。お前らの言うことなんか聞くか!(若気の至り)
6、漠然としていたが、介護を極めたいと思ったから。
5に関しては愚かであったものの、このような動機とタイミングが重なり
勢いで飛び込んだ准看護学校。もともと看護師になるつもりはなかったため、介護業界に戻ってくることは当初の予定通りだった。
何故看護をやらずに介護やってるの??と言われると
1ジャンルに誇りを持っているから
2介護を見下す風潮をひっくり返したいから(一部)
3これしかできないから
2についてはこんなエピソードがあった。
介護福祉士実務者研修の医療的ケアを手伝っていたときのこと。
大ベテランの看護師の先生から
「小森さんとてもいいわよ。看護においで。介護なんかより奥が深いわよ。もったいないから」
と言われたことがあった。
もったいないとは??何故介護を知らないのにそれをいいきれるのか??
他にも幾度となく
「准看護師が介護職をやってるのがもったいない」的なことを言われ続けてきた。
看護師よりも介護職が明らかに下、もったいないというような風潮があるならば
自分だけでもいいからひっくり返してやる!!
みとけよ!という気構えを以前は持っていました。
今は少し違います。「自分だけでもいいからひっくり返してやる」
とは思っていないです。
思いのある、意識の高い、介護のジャンルに誇りを持つ方達も
一緒にひっくり返してみせましょう!
◎相互理解
「いやいや看護師だからね」
埼玉県の看護師の吉田さん。Instagramにて介護現場のリアルを
漫画で表現している方。ある日のzoom飲み会でのやりとり。
「利用者の1番近くにいるのは介護職、そこにプライドとプロ意識を持って欲しい」
私の持論というか好きな言葉を伝えた時。
「いや、それ看護だからね。一緒だから。近くにいるんだから」
褒めてもらえると思ったら、逆に少し怒られた。
「看護だからね。」と。そんなことサラッという看護師さんに
初めて出会った。
自己実現や生活の質の向上を助けるのが看護だと。
その時初めてわかった。介護職も看護師の気持ちや専門性理解できていたのか?
なんとなく連携が取りづらい相手、怖い、という先入観と決めつけによって
距離をとってはいないか?
月並みな言葉かもしれないが、チームワークは相互理解から。
介護職も、看護に、リハビリに踏み込んでみよう。
◎カリスマはいらない??
「介護現場はチームプレイだから1人がすごいというカリスマはいらない。いたとしても私は認めない。」
昔ある方が言っていた言葉。
色々な意味を込めて言われた言葉だと思う。
ここでいう「カリスマ」とは昔流行った「カリスマ美容師」のようなイメージ。
◎指名される
◎この人の時は特別にいい
◎この人がいる時は安心
そういった要素が強すぎると介護現場では危険だよということ。
何故ならば、1人のスタッフが365日ずっとケアに入ることは不可能。
必ず複数人が「チーム」になって1人もしくはユニット単位での利用者の生活を支えることになる。
◎指名される
誰でも「あんたにやってほしい」と言われたら嬉しいもの。しかし、指名されない介護職はいつまで経ってもその対象者のケアが上手くならない。結果、指名される介護職が休みの時はどうなるのか?指名されない介護職の技術もモチベーションもいつまでたっても上がらない。
◎この人の時は特別にいい
仮に「この人」の点数が120点としても
「この人以外」の人の点数が50点だったら?それなら全員の平均が80点の方が利用者にとっては幸せなのでは?
「指名される」
「特別にいい」
このこと自体は素晴らしいことだと思う。
ある意味、質の良い介護ができる「カリスマ」は私はいてもいいと思う。「カリスマ」の質をチームで還元できれば。
ただ、この件に限らず一部の介護現場では
意識やケア方法、情報を共有することが苦手な傾向がある。
「私の時は〇〇」
というばらつきが黙認されることもしばしば。また、良いケアをしてくれる介護職も
悪気なくノウハウを独り占めしていることも。「この方法が良かったからみんなやってみて!」と、常日頃言えるかといえばそうではないかもしれない。
どの現場にも、輝いている介護職は必ず1人はいる。(と思う)
指名されるケア、この人は特別といわれるケアを、チームで安定的に提供できれば、利用者も介護職も幸せになるに違いない。
自己満足のカリスマはいらない。チームの質をあげるカリスマはいてもいい。ゆくゆくカリスマが標準になればそれで良いのではないかと思う。